白樺文学館

雑誌白樺は、明治時代末期から、大正時代に刊行されていた文芸同人誌です。

我孫子市は、この白樺とも縁の深い町として知られています。白樺の中心的な人物であった、武者小路実篤や、志賀直哉らは、我孫子に移り住んできたといい、我孫子は、白樺村とも例えられていたそうです。手賀沼を近くに、多くの創作が行われたという歴史があります。

この雑誌白樺は、文学を掲載するばかりでなく、西洋の文化を紹介していました。
何度も美術に関する特集が組まれ、そこにはゴッホやムンクも紹介されています。

ゴッホを初めて日本に紹介したのは、武者小路実篤であるとも言われています。つまり、白樺では、思想・文学の他、美術や音楽もテーマにしていたのです。雑誌という響きからは、文学のことが書かれていると感じますが、実際には非常に多様な文化が掲載されていたわけです。

何か、非常に文化的な活動が集中していたということを痛感する歴史でもあります。

さて、こうした白樺派の活動に関することを紹介している場所は、我孫子市の白樺文学館が挙げられます。

現在は我孫子市が運営しています。白樺に関係する様々な展示がなされているようです。場所は、我孫子駅から徒歩で約15分の距離になり、手賀沼湖畔からは少し離れた場所です。

なぜ文豪たちはここへ集まって来たのか

文豪が集まった手賀沼周辺は、やはり文学の探究にも適した場所だったのでしょう。

手賀沼の水は澄んで、鰻がいたほどですから、その水辺は非常に美しい佇まいだったのでしょう。

そんな場所でゆっくり読書でもしてみたいと思うものです。東京のような騒がしい場所では、すぐに気が散ってしまいそうです。

手賀沼干拓に反対した嘉納治五郎

嘉納治五郎は講道館柔道を築き上げたことで有名ですが、彼も、我孫子の景観を非常に愛していたそうです。

手賀沼湖畔に別荘を建てており、現在でも別荘跡が残っています。

そんな手賀沼が、干拓される計画が持ち上がったことがあったそうなのですが、その際、反対の陳情書を提出しています。

昭和初期の話のようですが、これは環境破壊という概念の先駆けだったのではないでしょうか。既に、足尾鉱毒のことで、田中正造の活動が行われた後の話でではありますが、それにしても、昭和初期から景観を守る意識を持っていた日本人がどれくらいいたことでしょう。

手賀沼も一時、水質が悪くなってしまった時期がありました。様々な方の尽力により今では、かつての清らかさを取り戻しつつあるそうです。

誇り