献上鰻

我孫子の手賀沼には、かつて多くの鰻が生息していたそうです。江戸時代には、手賀沼の鰻と言えば一目置かれる存在であったということです。千葉県の鰻というと、
成田を思い浮かべますが、我孫子もまた、鰻と縁の深い土地だったのです。

徳川将軍家への献上品としても用いられていた鰻ですから、しょっちゅう鰻ばかりを食べていたとは思えませんが、もしかしたら、嘉納治五郎や白樺関係の人が我孫子に集まってきた背景には、鰻も関係していたのかもしれません。

現在、手賀沼にどれくらいの鰻が生息しているものかわかりません。高度経済成長に入る前までは本当にたくさんの鰻がいて、そして手賀沼の水は非常に透明度が高かったそうです。それにしても、我孫子市内には、鰻屋さんが幾つもあるそうです。

鰻の歴史は、日本では江戸時代がひとつの節目となっていたようです。江戸時代に相次ぐ干拓を行ったところ、鰻が生息するようになり、それから鰻を食べる習慣ができていったというようなことのようです。(数千年前の貝塚からも鰻を食べた痕跡は見つかっています。)

しかし、当初の鰻は今のような重箱には盛り付けられず、タレもなかったのだそうです。1700年代に入り、江戸で濃口醤油が開発されてから、鰻のタレも出来上がったのだということのようです。

鰻と言えば・・・

さて、鰻と言えば、まず思いつくのは、夏バテ対策でしょうか。

とにかく色々と栄養があるのでしょう。確かに、鰻を食べると元気が出るように思います。

かつ丼感覚では気軽に食べられない高級な食材ですから、たまに食べるとありがたいように思います。

接待

その他、鰻と聞いて、接待を思い浮かべる人はいないでしょうか。

病院の近隣に鰻屋が多いのは、接待に使うためであると、そんな噂を聞いたことがあります。

確かに、遠方から客人が来た時など、鰻をごちそうできる店があると助かりそうです。

梅干しは相性が悪い

てんぷらとスイカの関係のように、梅干しと鰻は一緒に食べてはいけないと古い言い伝えがあります。

一緒に食べたら一体どうなるのか、これは勇気を出して食べた人しかわかりません。

調べてみると、これは迷信であると、科学的には判断されているそうです。

しかしながら、長い間語り継がれるように、注意されてきた梅干しと鰻をわざわざ食べる気にはなれません。

もしかしたら、科学では明らかに仕切れない何かがあるのかもしれませんし、また、我々が考えている事とは別な事情があったのかもしれません。

鰻の謎

生息地鰻は陸の魚なのでしょうか、それとも海の魚なのでしょうか。あまり深い想像はしたくありませんが、そもそも魚なのかもわからないところがあります・・・。

山芋が鰻に変わるとする説や、泥の中からやってくるとした説がまことしやかにささやかれていたのです。

手賀沼に鰻がいるとすれば、海との行き来はどうやっていたのか。近年の研究では、鰻は大地を這って移動しているのだという・・・。