親から見てカウンセリングに意味を見出せないのですが・・・

ご家族や、ご本人の周囲の人から、カウンセリングに意味が見いだせない、無意味なのではないかというご意見は多くの場面で聞かれます。

カウンセリングは無意味

学校では、先生方も、そのような感想をお持ちになっているのではないかと想像しています。「カウンセリングでは、受容や共感が大事だというけれど、それが何になるのか?

もっと指導をしなくては解決しないのではないか」、不登校の生徒に電話もかけなくて良いのか?待つだけがカウンセリングなのか?」などと、このような声が聞こえてきそうでありますし、ご家庭からも、「カウンセリングに通わせるなら、習い事や、塾にでも行った方が、有意義な時間になるのではないか?」というような声がありそうです。

ましてや、民間のカウンセリングルームでは、費用も多くかかります。

カウンセリングは何を行っているかよくわからない

カウンセリングは、指導や教育とは別なものであるとされます。そのため、カウンセリングの時間には教育や指導は当然ながら行われていません。内的な作業を行っているという、なんとも周囲の人からはわかりにくい言い方になってしまいます。

目にも見えなければ、その他にも確認することが難しいことを扱っているわけです。(教育においても、この視点は当然存在していると思いますが)

カウンセリングが問題を長期化させているのではないか

中には、「カウンセリングなど続けるよりも、環境を変えた方が良いのではないか?」と考える人もいれば、「むしろカウンセリングを行っているから、問題が解決しないのだ」と考える人さえいると思っています。

これは、非常に意味のあるご意見ですし、実際のところ、カウンセラーが、知らず知らず、自主性を奪ってしまっている可能性も時にあるのだと自覚しています。

見た目には何を行っているかよくわからないカウンセリングですので、周囲の人への説明も重要なことになってくると感じています。

進展はカウンセラーが起こしているのではない

別な項でも触れていますが、例えば、カウンセリングは、説教や指導、教育を否定するものではありません。どなたかが、ご自身の時間や大きな労力を割いて、非常に意味深い話をしてくれたり、人生の体験談を伝えたりしてくれていることなどが、日常生活上でその人を援助することにつながっているのだと思います。

それは、カウンセラーにはできない仕事なのです。また、その人たちの存在がなければ、カウンセリングの進展はより緩やかなものとなっていくのではないでしょうか。

色々な人との関係がある中で、カウンセラーはカウンセラーの役割を果たすことができます。

途中ですが、カウンセリングを止めたいと思っていますも合わせてご参照ください。