薬を塗るとか、栄養剤で持たせるイメージでは捉えていない

カウンセリングに対する一つの誤解と言っていいかと思うことに、栄養剤の配布のような捉え方が挙げられると思います。

我々は不調を感じた時であっても次の日にマラソン大会を控えていたり、旅行の前日だったりします。

多少の微熱があっても参加しなければいけない立場にある人も中にはあるのでしょう。

こんな時、なんとか一日でも体をもたせようと強力な栄養剤を飲んで翌日の予定をこなそうとする人を見たことはないでしょうか。また自分自身が経験したという人も少なくはないと思います。

カウンセリングは栄養剤の配布とは趣旨が異なります。

栄養剤

カウンセリングで何かの余裕が生まれた人

カウンセリングにおいてもこの栄養剤的な発想に(カウンセラー側が、ないしは周囲の人が)陥る可能性に警戒する必要があると感じています。

カウンセリングをきっかけに、生活上に心身の余裕が感じられてくる場合がありますが、出来た余裕をどのように使うかという点が、時に誤解されやすいと思うのです。

これはその人個人のために、ないしは個人の意思で使って良いものだと思うのですが、栄養剤のイメージで捉えていると別な展開をする可能性も残ると思います。

 

栄養剤を飲んででも働くという発想に近い使い方になってきます。

もし何かの組織でストレスケアを推進しようとする動きがある場合に、それはケアなのか、それとも栄養剤の配布なのかを考えたくなります。

臨床心理士による社員相談室を設置する場合等にもこのような視点からの検討は意義のある事ではないかと思っています。

世間からネガティブと言われるものを失くす、抑える仕事ではない

話がわかりにくいと思いますが、もう一度カウンセリングへの誤解に戻しますとカウンセリングというのはやはり、その人に添うことであります。悲しみとか憎しみなども人間にとって非常に重要な感情ではないでしょうか。(喜びや悲しみをどう捉えるかをご参照下さい。)

実用的に聞こえないとたくさんの批判を受けそうな言い方ですが、我々はこの態度を忘れて援助にあたってはいけないのだと思っています。

ロジャーズの言うところにもこれは通じるのではないでしょうか。

また同時にこれがカウンセラーの仕事だとして、それは最もすぐれた援助をしているというなどという意味ではなく、その人を取り囲む様々な人や環境によって別な援助があるからこそ、カウンセラーの仕事の存在意義が浮かび上がるのだとも言えると思います。

カウンセラーはそうした意味でも徹底して黒衣的な役割でしかないと思いますし、日常の支援や良い出会いなくしてカウンセラー単体の仕事ではほとんど意味をなさないのではないかとさえ思う程です。