季節の移り変わりをある視点から理解する

カウンセリングの中で大事にしていることに、一つの物事にも、別な見方ができるということがあります。言い換えれば、目に見えている状態や、一般的な理解が、その物事の本質を表していない可能性もあるということになります。

これと似たことに、季節の見方があると思います。春や夏は強い生命感や躍動感を感じます。そしてそれは、見た目の季節の状態からもそのように感じられ、分かり易い季節でもあるのではないでしょうか。

これが、秋から冬へ移っていくと、植物は色を変え、動物も冬眠に入ったりします。生命感や躍動感ということからはだいぶかけ離れた季節のように思います。むしろ、このままずっと長い冬が続くだけなのではないかとさえ感じられるほど、圧倒的な季節でもあります。

しかし、誰しもが、冬の後には春が再び訪れることを知っており、動物も冬眠してそれを待っているわけです。そのため、冬は確かに寒くて、あまり受け入れがたい季節と捉えがちになるかもしれませんが、冬には冬の意味があることを知っていて、何か否定的な季節とは捉えていないことになります。

もし、季節が巡るということを知らない人が、冬を経験したら、絶望感すら感じるかもしれません。

カウンセリングと季節

比喩ということは時に勘違いを生んでしまう可能性があることを前提として書いてみたいと思いますが、カウンセリングにおける物事の見方に関しても、季節の捉え方と近いものがあると思っています。

社会一般に何か消極的に捉えられている物事がありますが、それは冬のように何かの意味があるのではないかという態度でそのことを考えてみる姿勢がカウンセリングでもあります。

例えば、悩んでいる人を見ると、いつまでもはっきりしないとか、悩んでいる時間がもったいない、という考えを持つ人も少なくはないでしょう。

しかし、何か悩むこと自体に意味があるのではないか、と考えると、悩むということに意味が生まれ、実はかなり主体的なことをしている最中なのではないかと見えてくることもあるのではないでしょうか。例えば、悩むから自分の進みたい方向性をしっかり打ち出すことに繋がるとも言えますし、かなり繊細な感性をもっているとも言えます。ここまで考えると、消極的どころではなく、大事な作業を主体的にされている最中と見る見方の方がしっくりくるようになります。

もちろん、どのような意味があるかについては、一人一人のストーリによって異なるものになりますが、消極的に見えていたことが実は主体的、能動的活動であるという可能性すら持っていることに、見方という物は非常に多様なのだと感じさせられます。