物事には起源があるわけですが、カウンセリングにも起源が存在するはずです。
するはずと書いたのは、我々の認識以前からカウンセリング的な存在は既に存在していたと考えているためです。(太古より)
ですが、今回の記事はこのことには深く触れないことにします。
いわゆる、我々が日常的にカウンセリングと使っている言葉のイメージは、フロイトによる精神分析、またはカール・ロジャースによるカウンセリングのことを指していると思われます。または、もうひとつのイメージとしては催眠を行うものというイメージが存在しているようにも思います。
カウンセリングの歴史3つの流れ
世界的には、大きく分けて、カウンセリングの歴史の流れは3つと言われることがあります。学派で言えば、行動主義、精神分析学派、人間中心学派の3つです。現在、数多くの学派が存在しますが、起源を辿ると、この3つのいずれかに関係している場合が多くあります。
精神分析
精神分析は、フロイトが創始した一派で、ドイツで発展し、後にその場をアメリカに移しています。フロイトは多くの弟子を育て、現在もその流れで活躍されている方がたくさにいます。(19世紀後半~)
行動主義
次に、行動主義ですが、起源を考えると、パブロフやスキナー、ワトソンという学者達にたどり着くかと思います。(1920年代頃でしょうか)現在、認知行動療法という方法が非常に注目されていますが、この流れを汲んでいます。
人間中心学派
そして、最後に登場したのが、ロジャーズによる人間中学派ということになります。1950代頃からと記憶しています。大きな流れはこのように分類できるのですが、もっと細かく考えれば、おそらく数百種類のことに触れることになるかと思います。
日本の場合
さて、これらはすべて海外で生まれ発展していきました。日本においても、この3つの流れの影響は当然ありますが、独自の歴史があります。日本ではどのようにカウンセリングが発展していったのでしょう。
文献により諸説あるにしても、カウンセリングという言葉で考えれば、戦後の1950年代~1970年代頃、カウンセリングという言葉が世に浸透していったのではないかと思います。次に、1988年が一つの転機になると言えると思います。
この年に、臨床心理士の資格が開始され、資格をもったカウンセラーの活動がはじまります。その専門性は、心理面接に中核を持つと考えられ、(つまりカウンセリングを指す)多くの領域で活動しています。
その後、経済情勢の変化や、自然災害など、社会的に大きなインパクトが起きた際にも、臨床心理士やカウンセリングということに注目が集まることがありました。20世紀末から21世紀はじめにかけては、全国的に心理学科を設ける大学が急増しました。
そして、昨今2015年には、はじめて心理職の国家資格化がなされました。
- 友田不二男氏らの始動
改めて、日本のカウンセリングの源流の話に戻ると、まずは、友田不二男氏らの活動が挙げられます。これは、ロジャーズのカウンセリングのことを指し、主に教育の分野で発展したと聞いています。
ロジャーズの弟子である、ローガン・パックスが日本の茨城キリスト教大学で活動していたこともあり、友田不二男氏らによって、ロジャーズの方法が広く紹介されるようになっていきました。当時、全国の教員の間でロジャーズが学ばれたようです。友田氏のカウンセリングワークショップは多くの人に知られています。
- 河合隼雄氏の帰国
また、友田氏とは別な活動として、河合隼雄氏が、スイスにてユング心理学を学び帰国し、ユング心理学を広めていったという展開があります。(ユングはフロイトの弟子でした。)ユング派の人をユンギャンと呼んだり、ロジャース派のことをロジェリアンと呼ぶことがあったのですが、現在では、あまりこのようなフレーズを聞くことは少なくなったのではないかと感じています。
- 催眠研究から ー 成瀬悟策らの活動
友田、河合両氏の活動は、日本のカウンセリングの歴史に大きく影響したことは違いなく、また、多くの人に知られています。ですが、もちろん、その他にも多くの人が関係してきた歴史があることは言うまでもありません。
冒頭の方に、カウンセリングに対するイメージの一つに催眠が挙げられると触れましたが、日本においては、成瀬悟策氏が長い時間をかけて多くの活動を積み重ねています。成瀬悟策氏は、後に日本で一人目の臨床心理士有資格者になった人物でもあります(1988年)。催眠研究は、動作法の発展にも繋がり、益々の広がりを見せています。臨床動作法は、内観療法、森田療法同様に日本オリジナルの心理援助の方法でもあります。
まとめと年表
全てを網羅しているわけではありませんが、カウンセリングに関する大まかな年表を作成してみました。どのような動きがあったのでしょう。
- 1916年 スタンフォード・ビネー知能検査の完成
- 1952年 『面接法の技術』出版(友田不二男)
- 1959年 『カウンセリング入門』出版(伊東博)
友田、伊東両氏の活動は、戦後まもなく始まっている。ロジャーズのカウンセリングが紹介された。
- 1965年 河合隼雄氏がスイスのユング研究所から帰国開始
河合隼雄氏の活動は、日本のカウンセリングの展開に大きな影響力をもった。日本では、ロジャーズのカウンセリングが影響力を持っている時期であった。
- 1978年 ユージン・ジェンドリン初来日
ジェンドリンは、ロジャーズのもう一つの片腕と称される弟子で、フォーカシングを創始した。
- 1982年 日本心理臨床学会設立
現在では、心理学関係学会の中で、最も大規模な学会となった。
- 1988年 臨床心理士誕生
国家資格ではないが、心理職の資格として臨床心理士が作られた。2016年には3万人を越えている。
- 1995年 スクールカウンセラー委託研究事業開始
- 2015年 公認心理師法成立
- 2018年9月 第1回公認心理師試験実施
はじめての国家資格の法律が制定した。
戦後のカウンセリングは、ロジャーズの紹介を持って展開されている印象を受ける。その中で、河合隼雄氏の帰国は、もう一つのインパクトになった。現在のカウンセリングには学派を越えた様々な知見が背景にあり生かされているように思える。
- カウンセラー達の認識
かつての日本の武士のように、貴方は何派ですか?という質問を受けることはあまりありません。ですが、オリエンテーションは?と尋ねられる機会は多々ありました。
現在の感覚として、「私は~派のカウンセラー」という認識の方は少なくなっているのではないかと個人的には考えています。ですが、中心的に学んできた理論や学派ということについては、多くの心理臨床家が意識しているように思います。
これは、少なくとも私が知り合ったカウンセラーの中での話であり、また他の経験をしているカウンセラーもいると思います。
- 常磐線との意外な関係
実は常磐線は日本におけるカウンセリングの歴史と関係の深い路線でもあります。常磐線で千葉県を越えて茨城県に入り、さらに北へ進みますと、日立市の方へ到着します。
この辺りに日本のカウンセリング展開の一つのきっかけになった土地があるのです。
実は、大甕でカウンセリングに関するワークショップが開催されていた歴史があります。
このワークショップは数日間宿泊形式で行われ、何年もそうした形式で開催していたと聞いています。
カール・ロジャースの弟子ローガン・フォックス
カール・ロジャースが人間中心アプローチという方法や考えを提唱したわけなのですが、その弟子ローガン・フォックス氏が日立近隣で活動していたと聞きます。そこへ、友田不二男、伊東博両氏が、師事するために通っていたと聞いています。
その際にはおそらく常磐線を利用していたはずです。これは1950年代頃の話ですから、常磐線の様子も現在とはだいぶ異なるでしょう。
現在ではスーパーひたちやフレッシュひたち号が走っており、上野から水戸まで1時間程度になりましたが、1950年代は、もっと多くの時間がかかったに違いないわけです。
何気なく利用している常磐線ですが、調べてみるとカウンセリングとも縁の深い路線であるわけです。
意図せずしていろいろな偶然的なことを感じることがあるものです。
茨城キリスト教大学
ローガン・フォックス氏は、茨城キリスト教大学の初代学長でした。HPを拝見すると、やはりカウンセリングに関連した記述が見当たります。
現在の学生には、なかなか知られる機会がなくなってしまったのでしょうか。素朴な疑問として、ローガン・ファックス氏について質問しているという設定で紹介されています。付属のカウンセリング研究所のページでは、ロジャーズが来日したときの写真も含めて紹介されています。
当オフィスは、常磐線沿いの柏駅近くに開室しています。→柏のカウンセリング専門機関 | 心理臨床オフィスまつだ
※当サイトでは、極力、「療法」という表現は使用しないでおりますが、元々の名称に(内観療法のように)療法と記されている場合も多く、表記をそのままにしていることがあります。療法と言うと、治療を連想させますが、当オフィスでは、医療行為は一切行っておりません。