カウンセリングは本当に必要?

カウンセリングは強制されて成立するとは考えにくいと思っています。もちろん誰かに促されて渋々出かけてみたら思いのほか役に立ちそうであったということはあるかもしれませんが、強制されてまで、カウンセリングに通わなければいけないというのは、気が重くなるような話です。

カウンセラーによって考え方は異なるのかもしれませんが、いつでも止められる自由があるということが、カウンセリングの前提になると考えています。

カウンセリングを学ぶ人の間では、来談者中心アプローチの視点が非常に大きな影響力を持っています。この、来談者中心という響きからしても、来談者ということを強調しているように見えます。

創始者のロジャーズがどのように意図して命名したか調べてみないと正確なことは言えませんが、そこには「自発性」を重視していたという思いがあるのだと考えています。(時にカウンセリングという名称で別なことが行われている場合もあるようです。またはカウンセリングという言葉を幅広い意味で用いているということもあるようです。)

続けるも、来談しないも自由、とこんな風に言ってしまうと、今度は無責任なのではないか?というご批判も出てくるものと思います。

しかし、カウンセリングの性質として、カウンセラーが何かを積極的に指導するとか教育するとか、そういうものでもないわけです。

ご本人の気持ちが最大限尊重される時間であることに違いはありませんので、もしカウンセリング不要と感じている人には、不要と感じるその気持ちを尊重したくなるものです。

このような理由でカウンセリングを無理に続けて頂こうとは考えておりませんが、ご家族の強い希望があるような場合には、上記のようなことをなんとかご理解いただけるように、ご説明しようと考えております。(別な話になりますが、ご家族に代わりに来ていただくという方法もあります。)

カウンセリングの必要性

また、別な場合として、カウンセリングに興味はあるけれど、自分にとって役立つものかどうかわからない、という場合もあると思います。その場合にはまずよくご検討いただいてからお申込みいただきたいと思っています。

カウンセラーが必要性を判断するというものでもありませんが、通ってみようとする方には、どのような方向性をもって話を続けてみようかと、カウンセラーの考えたことをご提案することは可能です。

また、試しに2,3回通ってみるという方法もあると思います。実際に、1回では、カウンセラー側の理解が至らなかった場合にでも、3回お会いして、ご本人の考えていたことを理解する至るということがないわけではありません。

それでも、費用が高額になりますので、無理に勧めることはありません。また、通おうかどうか迷っているのに、カウンセラーの意向が結論に強く反映してしまうことも本来のカウンセリングの趣旨と異なるように思えます。

モチベーションはあるけれど

カウンセリングは本当に必要?また、そもそもカウンセリングを続けてみたいというご希望をもって、はじめて来談する人もいます。しかし、その場合でも途中で止めるという選択肢はあって良いと考えております。

実際に行ってみたら、何か自分の考えている事とは違ったとか、一回の相談で方向性だけは確認がついたのであとは通う必要はないと感じたとか、何やら相性があいそうにない、など理由は様々になると思います。

反省の場所ではない

最後にこのことに触れたいと思いますが、カウンセリングはその人の悪い部分を修正しようとするものではありません。結果的に何かの変化が起きることはありますが、それは目的ではありません。

これは非常に難しいニュアンスで文章では伝わりにくことになりますが、カウンセリングは反省の場所ではないのです。(反省という語りがうまれることも可能性はあるにしても)問題や悩み、ということが主な相談になることは違いありませんが、カウンセラーの視点として、問題にも何かの意味があるのではないか、と捉えることがあります。

途中ですが、カウンセリングをやめたいと思っていますも合わせてご参照下さい。