誰も知らない冒険で人は成長することがある

人間は時に冒険を経て成長する場合があるように感じます。このテーマはアニメや小説などでも度々登場することではないかと思います。

そこには夏休みや浪人生活、学生生活などを舞台に、人間が大きく成長する様子が描かれています。それは、安全な出来事ばかりであったかというとそうではなく、怪我をしたり、ひもじい思いをするような出来事も含まれます。

異世界へ迷い込むような展開はアニメの得意とするところです。宮崎駿監督の作品を思い浮かべる方もあるでしょう。

安全性ということを考えると非常に難しいテーマに思えて来ますが、果たして一度も転んで膝をすりむいたりしないでいいものなのか、見守る側も度胸を要するということなのでしょうか。怪我をしたり危険な思いをしないに越したことはないとは強く思いますが。

非日常の中で人知れず体験した恐怖などが人を成長させることも・・・

冒険は、非日常体験と言い換えることも可能でしょう。普段は経験しないような体験が、その後の成長を促進するということもあるのではないでしょうか。

犬に追いかけられる

若干コメディーな感じのする例えになりますが、例えば犬に追いかけられるような体験は、周りの想像以上に本人にとっては大きな冒険になり得るのではないでしょうか。あくまで例え話ということになります。

これは、体験した本人しかその恐怖や切迫感を感じられず、追いかけられている最中は孤独であり、必死になっているということがポイントになっているように思います。外から見ると、「なんだか走り回ってるな」くらいにしか見えない場合でも本人にとっては、非常に切迫しているとも言える体験をしていることが想像されるからです。

大冒険

仮に、いつもの帰り道に大きめの犬が道をふさいでいたら、内心穏やかではいられないでしょう。別な道を通ろうか、犬に気づかれないように端の方を静かに歩こうかなどと考え始めます。

そうしているうちに犬に存在を察知され、2,3回吠えられることもあるでしょう。やはり道を変えた方が良いかと考えると、その道もどういうわけか工事などでふさがれたりしているものです。また、道を変えようとした途端に犬が追いかけてくるということもあり得るわけで、大きな足音も立てられず、警戒しながらいるのです。

こんな攻防を1時間も続けたら、汗をかいて、心拍数も上がっていることでしょう。
そして、やっとのことで犬の隙を見つけて、通過できたとして、本人にとっての大きなイベントは終わるわけです。

しかし自宅に帰るといつものように家族が、

「こんなに遅くまで何をしていたの?早くご飯を食べてくれる。」

お母さん

などと言いい放たれることでしょう。

これが日常ということになります。非日常でのことは、本人しかわからないのです。仮に伝えたとしても、

「犬ぐらいで何をやってるんだか・・・」

くらいに話が終ってしまうのではないでしょうか。

成長との関係

犬との攻防というエピソードが適切であるかどうかは難しいところですが、この孤独に戦ったこの人の体験は人間的成長に通じる大きなことなのではないでしょうか。

大げさと思われるかもしれませんが、命ということに意識が向いた経験でもあるでしょう。もしかしたら、現実味を帯びて命ということにここまで意識を向けた経験はそれまでになかったことであるかもしれません。

家族からは、怪我に気をつけなさいとか、車にひかれたら大変、などと口酸っぱく言われていたとしても、だいたいにしてそうした言葉にリアルな感じを覚えることは少ないものでしょう。

犬との攻防を経て、本当の意味でもしかしたら家族の言うことに耳を傾けるようになったり、現実的な感覚が高まっていくということにつながる可能性もあるのではないでしょうか。(だからといって、無理に犬に追いかけさせたり、危険な思いをさせればいいということでは全くありません)

この場合犬は、命を教える存在として登場したとも見えるわけです。(これは目的論的発想になります)基本的に危険だからとどこかに排除しようとしてきた存在が実は重要な役割を持っていたとも考えようによっては言えなくもないでしょうか。ここには安全性との兼ね合いでやはり非常に難しい現代的テーマを感じます。