家族や近所の人から、亡くなった母の代わりのように思われています

面影母との関係は、母が亡くなったからと言っても、全て終わりとはならないことがあるようです。

母と娘ですから、外見が似ているため、母親と間違われたり、似ているなどと何度も言われた経験を持つ人もいることでしょう。

これをうれしいと感じる人もあれば、生前に葛藤があった場合などは、わずらわしくさえ感じる人もあることでしょう。

母の死に際して、非常に複雑な心情でいる方も多いのではないでしょうか。

亡くなった母の代わりに、用事を頼まれる

例えば、母親が生前に、何かを用事を定期的に引き受けていた人であれば、その用事を娘が当然に引き継いでいるものと考える人もいることでしょう。

お墓参りの際、毎年誰が車を出して、送迎していたかを思い出すと、案外母親頼みだったことに気づかされます。

また、お墓参りの道具や帰りの食事の場所など、こうした手配を遠回しに、娘へ期待している人がいることは確かでしょう。

これは、母親の偉大さを知るとかいう話ではなく、娘にとっては大変なことと言えるでしょう。

母親とは違う環境で生活していれば尚更の事で、自分の家庭のことにだって、いろいろ手間がかかっているはずです。

母親の面倒見の良さが残された娘にとっては、裏目に出てしまったわけです。

母親に怒りさえわいてきそうですが、既に亡くなっています。

自分の人生とはこのまま母の代行なのか

このように、母親が亡くなったために、自分の仕事が増えることは、まるで母親の代行をしているかのようにも思えるのではないでしょうか。

その場合、自分自身の人生という感覚が損なわれてしまうということもあるでしょうか。

大変な仕事でも、自分の意思で行っているならば、それはどこか納得が良く、心地の良い疲れをもたらせるでしょう。

しかしながら、やりたくもないことを代行するのは、非常に嫌な疲れを伴うのではないでしょうか。

周囲の人は、このような娘の姿を見てどのような気持ちでいるのでしょう?

母親が亡くなったことを、少しやわらげてくれるような心境なのでしょうか?

少しは、娘さんがどこか不憫だと感じる人もいるのでしょうか。

多くの場合、なんだかんだで娘さん頼りになってしまうのが現実ではないかと思います。娘さん自身の人生を大事に考えてくれる人はいないものでしょうか。

母との関係は、こうして亡くなった後も、形を変えて続いているかのようであります。

だからこそ、このことに意識が向いたときは、自分自身の人生に目を向けるきっかけとできる機会となるのかもしれません。

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