無理がきかなくなってきた時

学生の頃、テスト期間の直前になると集中的に遅い時間まで勉強をしたことがある経験を持つ人は多い事でしょう。

普段であれば23時には寝ていた人が夜中の2時や3時過ぎまで勉強し、数時間眠った後には起きて学校に行くような生活です。

しかし、年齢を重ねてくると、持ち直すことが難しいと感じ始める方もあるでしょう。

無理が効かなくなったらそれは衰退か?

年齢を重ねれば例外なく、体力面で低下を感じることには違いありません。

30代の頃だったらこのぐらいなんでもなかったのに・・・と残念に思う方もあるでしょう。

仏教では生・老・病・死をもって四苦というそうですが、無理が効かないというのは老と関係する話です。

プロ野球選手

例えば、昨今のプロ野球など見ていると、かつてよりも選手時代が長い方が散見されます。中には50歳を越えて登板した選手さえいます。野球業界の契約形態など様々な変化もあるため一義的な事は言えないと思いますが、それでも40代以降も選手を続ける方が多くいます。

少しでも、長い時間野球をプレーヤーとして続けたいという気持ちを持つ方は多いと思います。

逆に、早々に次の人生にシフトする方もあり、この辺りは個々人の考え方や価値観も関係するのでしょう。

喪失感

「老」とは、別な言い方をすれば若さを喪失する体験であるとも言えます。「老」をネガティブなものと見なしている時には(多くの場合はじめはネガティブに捉える方が多いのではないかと思いますが、その捉え方は変化することもまたよくあることとを我々人間は知っているはずです)、この喪失感は特に大きく感じることになるはずです。→別サイトの喪失を聴くもご参照下さい。

朗らかな高齢女性

先ほど、少し触れましたが、我々は朗らかに暮らす遙かに年上の女性がいることを知っています。

体力という面からすれば、20代、30代の人とは全く異なります。その他もう免許を返納しているかもしれませんし、収入だって若い頃に比べたら年金だけかもしれません。

そこには衰退という言葉とは違う在り様が感じられ、少しも価値が落ちたなどとは思えません。このことを、失ったものもあるが別なものが高まったと説明(体力は落ちたが徳が上がったなど)する方もあれば、別な言い方もあるように思います。

夕暮れカール・ユングの場合は、人生を太陽の動きに例えています。つまりは、朝日の様な人生のはじまりが、正午に最も照らし、夕日の如き輝きを持って沈んでいくというイメージです(勝手な解釈です)。そう見ると、常に人生とは輝きを持っていて、それぞれに何か良い感じがします。

どんな夕暮れをお望みでしょうか。

参考:人生の正午については、人生の半ばに差し掛かる、50代女性の生き方でも触れています。