カウンセリングとは何かの気持ちを吐き出す場と考えたら良いですか?

宜しくカウンセリングは、気持ちを吐き出す場という意味合いも多少あると言えるかもしれませんが、単に吐き出す場とはまた別だと感じています。

単に吐き出すのであれば、山の頂上などで叫んでみてもよいことになりますが、それとは別な体験をなさるようです。

飲み屋で友人に愚痴を言うのともまた別と考えています。

カウンセリングは気持ちを吐き出す場?

吐き出す相手がだ誰かといえば、それはカウンセラーになります。

この点は、普段の日常生活上接点のない相手ですから、かなり特殊な相手と言えるでしょう。

最近は、コンピュターによるカウンセリングも登場している時代です。

一部成果を上げているという話も聞きます。

年々、その方面は進化を遂げていくことが想像されます。

そう言えば、20世紀の後半くらいからテレビモニターに映し出された魚が返事をするような場面を見かけるようになりました。人間以外の者に何かを言い放つことはもう何年も前から行われていたのです。

コンピューター関係に限らなければ、もっと太古の時代から我々は人間以外の者に語り掛けていたはずです。初詣の際などには多くの人がぶつぶつと何やらつぶやいているようにです。

これは吐き出すというより、思いを託すとか置いてくるという言い方の方が近いことだと思いますが。

カウンセラーを相手に話すことはそれほど特別なことなのか?

カウンセラーの存在がどのような意味をなすのか、これは非常に難しいテーマだと思います。

どうしても人間を挟まなければカウンセリングは成立しえないものなのか、などと考え出すと色々な意見が飛び交うことでしょう。

そもそも、カウンセラーは聞いているだけではないのか?と思う人も多いものです。

何もしないことがカウンセラーの役目であると説明する人もあるくらいですが、何もしないでいるのも気まずいものであり、それこそ50分もいるのは難しい話です。

見た目は何もしていないが、何かそこに存在する意義があっているのだと思っています。どこかでも書きましたが、邪魔をしないように聞いているとも言えます。

もし、カウンセラーを前に語る場合と、山の山頂から叫んだ時と同じような感触がするのなら、カウンセラーは自分の在り方を考えなさなければいけなくなるでしょう。

当ブログや本サイトでもいくつかの観点から、カウンセラーの役割やカウンセリングに関することを書いています。

もっとストレートな説明ができれば良いのですが、なかなか難しくこのような形で折に触れ説明しています。ほかの書き物もご参照ください。