リフォームは一大事

人世の中で、一度や二度、住いの修繕を経験することがあると思います。大規模にしろ小規模にしろ、長らくすめば何らかの綻びが生じても不思議ではありません。または、時代の変化に伴って行われるリフォームもあるでしょう。一つのライフイベントと捉えて良いのかもしれません。

リフォームは大変な事

リフォームは、思ったほど簡単に進まないことがあり、例えばお風呂を直そうとしたら、しばらくの間銭湯通いを経験した人もあるでしょう。

つい最近でこそ、銭湯ブームが到来していますが、家庭でお風呂に入ることが一般的になってからは、銭湯の数は日に日に減っています。銭湯がない街もあることでしょう。そのような場合、近所の人にお風呂を借りたりすることになります。

リフォームは心理的な作業でもある

リフォームは、物理的な作業のように見えますが、そこに暮らす人にとって、一つの心理的仕事を行うことでもあるように感じます。

もしかしたら使いにくいとは言えど、愛着のあるお風呂だった場合には、そのお風呂が形を変えて行くことは、何か堪えるものもあるでしょう。新しい快適なお風呂へ変わっていくのだとわかっているとしても、こうした心情の存在は在ると思います。

特に日本では、物を大切にしようとする文化があると折に触れて耳にします。文化ないしは、信仰に近いものでしょうか。最もしっくりくる言葉には畏敬の念という選択をしたくなります。草木国土悉皆成仏、付喪神、など万物への畏敬が日本には漂っているように感じられるのです。

もったいない

世界的にも、「もったいない」という概念は珍しいと聞きます。こうした背景には、単に節約家というニュアンスよりは、もう少し大いなる何かへの畏敬の念を持った結果というニュアンスの方がもっともらしく感じられてきます。

昇る朝日に手を合わせる人を見たこともあります。

もしかすると、家を壊すとか、リフォーム、改修、改築ということをどこか不遜に感じる面があるとしたならば、背景にはこうした心情があってのことなのかもしれません。中には、親子3代で使ってきた風呂もあるでしょう。先代らに対しての罪悪感を伴う人もあるでしょうか。

少し、飛躍しましたが、もしシャワーの水圧が弱ってきたとしても、すぐにリフォームしようという動きには進展しないことが多いのではないでしょうか。ギリギリまで使うか、どうしようもなくなるまで持ちこたえるという家庭もあるでしょう。

新しいお風呂を作るまでには、このようなことに思いを巡らせ、「いよいよ、そのときなのか」とある種の決心が必要になってくるように思います。工事がはじまったあともどこかまかせっきりにできない気持ちで現場を覗いたり、出たりするのではないでしょうか。