人に遠慮してしまう

人間同士が一緒に行動すると、全てが同じになるはずはありません。食事に出掛ければ、ある人は和食が食べたいと感じ、ある人は中華と感じることでしょう。

このような時、一体どちらの意見が優先されるのでしょうか。

人に遠慮してしまう場面は、人間関係の中に多々あると思います。果たして、これは悪いことなのでしょうか。

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遠慮してしまう人、しない人

先ほどの話の続きになりますが、会社の同僚たちと食事に出掛ける時、あっけらかんと「私は中華がいい!」とはっきり言い放つ人を見ることもあると思います。数人の集団であれば一人くらいはこのような意見を言うのではないでしょうか。

他の人が意見をはっきり述べない場合には、中華に即決する可能性があります。

中には、どっちでもいいと感じている人もいるでしょうし、結局いつもあの人が決めるんだと覚めた目で眺めている人もいると思います。

早い者勝ち

遠慮深い集団内における決定では、早い者勝ちのようなところがあるように思えて仕方ありません。

小学校位の授業で手を挙げると先生から指名されますが、あの時でも、教師は、毎回同じ子供を指名しないものでしたが、年齢を重ねるにしたがって、関係なくなっていくのでしょうか。

主張が強い人の方が、能動性があって、自主的で積極的で良いと見なされているように思える場面が散見されます。

拮抗・難航の元

もし、同じ位に別な意見を強く主張する人がいれば、決定はもう少し難航するでしょう。

難航した場合、必ずしもスムーズに決まらないことも多く、また一見譲り合っているように見えて、内心では激しいものが渦巻いていることもあります。

遠慮しがちなのもその人らしさ・持ち味ではないか?

しかし一方で、遠慮して自分の意見を言わない人も何人かはいることでしょう。

時に、この在り方は、「いつも自分は遠慮してしまう・・・」、と悩んでいる人もいらっしゃることだと思います。

もっと積極的になるようにとか、自己主張をすべきだと言う人がいることは確かです。しかし、遠慮がちな態度や在り方は本当に否定されるべきことばかりなのでしょうか。

遠慮することをその人らしさと見るおつもりはないでしょうか。中には遠慮する方が心地が良いこともあるかもしれません。主張すれば集団に波風が立ちますし、良く思わない人が出てくることもあります。

遠慮できる人とは、このような調和を知らず知らず守っていてくれる存在でもあると思います。相手の事を思いやる、人間にとって非常に大切な態度ではないでしょうか。

また、出る杭は打たれることも多々あります。これは、まぎれもない事実だと思います。積極的・外交的になることを求められることはたくさんありますが、それは同時に目立ち、人の注目が集まりやすいことでもあります。

この視点から考えると、遠慮してしまう人は、目立ってしまったことで被りかねないいわば攻撃を、いい意味でしっかり回避しているとも言えるのではないでしょうか。

しかし、それでも本人が悩むときには、どこか隅に追いやられているような惨めさのようなものを体験しているときではないでしょうか。遠慮しても誰も気づいていなかったり、自分たちよがりになってしまう人もいるものです。

別に感謝されたいわけではないと思いますが、何か釈然としない気持ちが残る結果になるのではないでしょうか。カウンセリングを行う場合は、この辺りをどう考えて行くかが一つのテーマに感じられてきます。

職場の人間関係についてのカウンセリングもご参照下さい