省略は時間を生み出すというが、味気なくなってきた・・・

現代社会では、食事をするまでの時間が段々と短縮されてきました。 つまり、何か食べたいと思ったときには、ものの数分で目当ての食べ物に 辿り着ける時代になりました。

とにかく早く、これが現代社会の前提条件なのかと感じることもあります。

省略弁当・・・などなど

予てより、お弁当は存在していましたが、現代社会では、お弁当に限らず、 飲み物が欲しければ自動販売機があり、〇〇定食さえもチェーン店に入れば 数分の内に目の前に現れてきます。 非常に便利にはなりましたが、ある意味では、やはり失ったものがあるわけです。 つまり食事が出来上がるまでの時間を失ったとも言えないでしょうか。

別にいいではないかと思われると思いますが、野菜が煮込まれている光景や、それに伴う香り、 焼きあがる音、待ち時間、これらのことも同時に生活の中では短くなってしまったわけです。 これらは失われていることです。

そして、まだかまだかと、野菜を煮込んでいる最中に我々の体内では何らかの食事の 準備が行われるのかもしれないのです。そこに、食事が益々おいしいと感じられる 何かが含まれているかもしれないわけです。 つまり我々は、その準備を得ずして食事をしていることになります。

他の事でも色々省略

これは、食べ物を例にした話でしたが、この他にもたくさんの省略が行われています。

  • 葬式

以前にも触れたと思いますが、葬式も相当に省略が進んでいます。葬式が簡略化されてくると、皆で共に悲しむ時間や、悲しみ機会を失うことにもなると思っています。

そのときに、十分悲しむ時間が足りなかった人の思いは、一体その後どこに向かうのでしょう。

  • 祭りや七夕の代わりにハロウィン?

祭りや、七夕も以前ほど盛り上がりに欠けています。笹の葉に願いを書いた人はだれくらいいることでしょうか。一方で、ハロウィンが段々と市民権を得てきているような現実もあるので、それは七夕を満喫する機会がなくなったために、形を変えてハロウィンになったということなのかもしれません。

どんなに社会が変化しても、何かのタイミングで、屈したエネルギーを、爆発させる機会が人間には必要なのではないでしょうか。

湯船日本人が風呂につかる機会も減っています。その分海水浴に向かう人が増えるなんてこともあるでしょうか。日本人の服装は、江戸時代のことを考えると、ちょっと面倒だったと思います。

面倒な服装から解放されて風呂に浸かるという文化が深化したのではないかと密かに持論を持っています。そういう意味では、ラフな格好になると、湯船に浸かる開放感は不要になってくるのでしょうか。服装に限らず、日本で暮らすと窮屈に感じることがたくさんあります。温泉街はそうして生まれたのかもしれません。