有機農業とカウンセリングに接点はあるか

有機農業などを見る機会があると、カウンセリングに似ていると感じることがあります。当然、野菜や果物と人間とでは話は違いますが、その発想などに類似点を見出すという話です。

有機農業も、何もかも放っておくこととは異なり、野菜が野菜らしくなっていけるように栽培者は何かをしているのだと思います。カウンセリングにおいても、よくカウンセラーは何もしないと批判を受けることがありますが、やはり何もしていないわけではありません。

農作物

砂漠の植物トマト

トマトが砂漠の植物であると知る機会はどれくらいあるものでしょうか。トマトの本当のところはわかりませんが、本来はあのような過酷な土壌に育つ植物なのだそうです。

しかし、日本の家庭菜園など見てもトマトは非常にポピュラーな野菜になっています。家庭菜園で野菜を作ろうと思ったら、キュウリとトマトを挙げる人は大勢いることでしょう。

小学校の理科でも、トマトを育てて観察するものですから、簡単にトマトを作れるのだと思っているのだと思います。

いろいろな品種改良が進められた結果、日本でも手軽に栽培できるようになったということなのだと思います。

砂漠に張る根っこ

さて、本来のトマトは砂漠で育つとき、どうやって水分を得ているのでしょう。雨もめったに降らないのでは、たちまちに枯れてしまいます。

その秘密は根っこにあると聞いたことがあります。

非常にたくましい根っこを砂漠のトマトは備えていて、長く長く水脈を手繰るようにしているのだとか。

つまり、自分の力で水脈を探し当てて、水分を得ているというのです。

カウンセリングとの関連で何が言いたいのか

この一連の話を通して、何が言いたいのかと言えば、砂漠で育ったトマトはうまい、ということではありません。(一体どんな味がするのでしょう。)

砂漠で育ったトマトは自ら根を伸ばすうちに、たくましさを得たということであり、もし、水やら肥料を人工的にじゃんじゃん与えていたら、そのたくましさは得られないでしょう。

トマトは水分の問題を自己解決し、その結果、自己成長したのです。

これはカウンセリングにも言えることで、先に言いたいことを述べてしまうと、我々は、時に、頼まれてもいないのにおせっかいをして、その人自身がたくましさを得る機会を奪ってしまうことがあるのです。

この人にはこの問題は解決できる力がないから、と勝手に決めつけるようなことに近いのではないでしょうか。そのため、おせっかいを焼き、先回りをして問題にぶち当たらないように配慮してしまうわけです。

本来であれば、その問題にぶち当たり苦闘する中で、その人は何かを得ていた可能性があるのです。それが、厳しさに立ち向かった後に、育まれるたくましさだったりもするのではないでしょうか。

あの数学教師さえ、もっと穏やかな授業をしてくれさえすれば、不登校の生徒も、登校できるのに・・・融通の利かない先生だ・・・、などと嘆くカウンセラーの姿が思い浮かびます。

ですが、実は、その数学教師は、生徒に立ちはだかってたくましさを育む存在になっているわけです(意識しているかどうかは別にしても)。カウンセラーが数学の先生に話をつけてどいてもらったら、それは、たくましさを得る機会を奪ったという風にも言えないでしょうか。(もちろんここに書くように単純な話ばかりではないと思います。あくまで一側面としての話です。)

アッペンデックス

最後に、補足的に、笑い話に見えてしまうかもしれませんが、非常に大事な視点を含んでいることだと思うので、少し触れておきたいことがあります。

有機農業の発想など頭に残っているときに、厄介な風邪をひきました。

風邪で発熱や、咳、鼻水などが出るわけですが、「今、体が戦っているのだ。十分に戦いきれるように工夫して過ごそう」などと考え、薬を一切使用しませんでした。

その代わりに栄養剤を飲んでみたり、早めに寝たり、体を温めて過ごしていたのです。

ところが、咳は止まらず、夜も苦しむようなことが続き、まとまった睡眠を得ることさえ危うい状況でした。

そして1週間ほども長期化し、いよいよ音を上げたのです。

薬局に駆け込み、高めの咳止めなど購入し服用したところ、なんとたちまちに体は楽になり、眠ったら風邪もすぐに治ってしまったのです。

もっと早く薬を飲んでおけば良かったと後悔したものです。

つまり、人類の英知、科学の力はやはり侮れるものではなく、無視できないものです。臨床の知と科学の知が話題になるとき、必ずそれらは相互に補い合っていくもので、唇歯輔車の関係なのだと解説が入ります。

それを痛感したエピソードであります。

精神科医と臨床心理士の違いもご参照ください。