人間の認識は事実と異なることがある

日本は島国ではありますが、多くの河川や湖も持っています。

47都道府県の内、幾つかの県には海がないのです。栃木県や群馬県、埼玉県は海なし県などと呼ばれることもあります。西日本では、奈良県も海なし県です。

海が身近にある環境で育った人にとっては、信じられないようなことかもしれませんが、海と接点のない内陸で生活している人も多いものです。47都道府県のなかで8つの県では海がありません。

もし海を知らない人が巨大な湖を目にしたらどう認識するか

湖社会経験を積んだり、学校で海の名前を教わったりしながら、海を知るわけですが、大きな湖を見た時に、それを湖と知らせていなかったならば、海と勘違いしてしまう人もいるのではないでしょうか。

もし海に行ったことのない人に、海に出かける話をして、車で出かけた場合、その人が途中うっかり居眠りでもしてしまったら湖のほとりに到着しても、それを海であると思うかもしれません。

居眠りから目覚めたその人は、大きな湖を見て、「きれいな海ですね」などと一言言うかもしれません。

人間の認識とは

このように、人間の認識は、必ずしも、事実を捉えているとは限りません。また、時に事実はどうでもよいこととされる場合すらあります。

例えば、凍り付いた湖があったとします。その上を、見知らぬ土地から来た人が、知らずに渡り切ってしまったら、当人は、湖を認識しないままとなるでしょう。(滑るとか、冷たいなどの細かい設定は抜きにします)

もしかしたらこんな会話がなされているかもしれません。

・「地図だと水辺で通れないはずだったんだが・・・・工事されたのかね。地図も当てにならないもんだね。」

・「建物などなかったようで、通りやすい道だったね。」

事実は重要だが重要でないことも多い

さて、このようなことを考え出すと、事実とは本当に重要な事なのか疑問を感じてきます。

別に、事実が明らかにならずとも、どうでもいいことは世の中にたくさんあるのではないでしょうか。

とにかく事実を追求したいと考える人の気持ちがあることもよくわかります。もし湖を横断中に氷が割れてしまったら大変な事です。

安全性に関わるのですから明らかにしていくべきでしょう。

もし安全性に関係なく凍った湖を渡れるならば、事実はどうでも良いことかもしれません。地図を作製した会社には多少の悪評が立つかもしれませんが、渡った人の認識は、地図の間違いだったのだくらいに収束するわけです。

カウンセリングにおける、ナラティブという視点もご参照下さい。