安全に学ぶかビシバシか

カウンセリングを学ぶ際には、多くの他者と出会うものです。

それは、大学教授であったり、学生同士、既に現場に出ている人、どこかの勉強会であった人、職場の同僚などなど・・・です。

誰かに教えてもらいたいという淡い期待を抱きたくなる時もあるでしょう。

教室の風景

安全な学びの体験が心のふるさとを作り、長い道を進むことを可能にするかもしれない

カウンセリングの学びは非常に長い道のりで、終わりがあるものでもないと思います。

そうだとすれば、途中で失速するわけにはいかず、長い道のりを走り続けるイメージを持つ方が実際的な感じに近いかもしれません。

永久に安息の時は来ないくらいのイメージになるでしょうか。

現場では、その瞬間には自分しかいない

現場に一度出てしまえば、その瞬間において、自分の他には誰の力を得ることはできないものです。同僚や先輩がいるという頼もしさはあるにしてもです。

どの職種においても同じことは言えると思いますが、自分自身で歩いていくことが前提となるわけです。

二つの理屈

ビシバシ

昨今、早期に色々な経験をして、社会に出た時に即戦力になれるようにすることが必要であるとする考え方が目立つようになってきたと感じます。

国際化などを見据えた考え方なのでしょう。

確かに、就職してからパソコンの操作を覚えるのより、学生の内から馴染んでおいた方が仕事にスムーズに取り掛かれるようなことは大いにあるでしょう。

この考え方からすると、学生時代のスケジュールは少し殺伐としたものになっていきそうです。

どこかでトレーニングするのか、或いは、他の大学はどこまでやっているのか、などとやりはじめると熾烈化を後押しします。

教育者側には、社会は厳しく弱肉強食の世界なのだから、困難にぶつかる前に、それを越える力をつけておいた方が生き残れる、というような願いがあるのかもしれません。

これは一理あると言えるでしょう。

穏やかに安全に学ぶ

一方で、学生のうちはもっと緩やかな、穏やかに学ぶ経験が必要だとする考え方も時に目にします。

こちらでは、ゆっくりと時間が進むためか、熾烈化という面からは遠くなります。

仲間同士和気あいあいとなり、ライバル的な発想もうまれず、むしろ仲間意識が強まるでしょうか。

教育者側は、厳しい社会で困難に直面したとき、学生時代の安心感が深刻化を和らげ支える力となると願っているかもしれません。

こちらは、怠けてしまうのでは?と心配になる方もあるかと思いますが、安心感が満ちてくると自発的に勉強したいなどと言いだす動きが起きるものです。

こちらの考え方も一理あると思う方もあるでしょうか。

アメリカのアクションドラマ

蛇足ですが、アメリカのアクションドラマに心理学者風の人物が登場する場面があります。

心理学者はひっこんでいろというような感じだったように記憶しています。

数十分単位で刻々と状況が変化する国家転覆の危機的状況においては、穏やかにというのは場面にそぐわないものだったのでしょう。

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