心理的なケアを実践する援助職は皆カウンセラーのように振る舞い統一されるべきなのでしょうか

カウンセリングを学ぶ看護師や教師の方の中には、カウンセリングについて疑問に感じている方も少なくはないと思います。

他職種の方も、カウンセリングを勉強すると、確かになるほどと思うことがあると思います。

ですが、カウンセラーの態度を看護師も他の職種も真似して、皆統一した方がよいのでしょうか?教師も指導を止めて、受容と共感をもっと勉強すべきでしょうか。心理的なケアに注目が集まっている時代ですから、皆がカウンセラーらしくなっていければ良いのでしょうか。

やはりそんなに単純な事であるはずはないわけです。

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看護職や教育者としてのプロ・持ち味があるのではないか

カウンセラーには、カウンセラーという職種の持ち味があるように、他職種には他職種の持ち味が当然あります。チームを組む場合にも、それらの持ち味を、それぞれが発揮したときに、よりよい支援に繋がると感じます。

教育を専門とする先生方には、教育の視点から関わっていただけることで、カウンセラーは、カウンセラーの視点からのかかわりに徹することができることになります。看護職なら看護の観点からというふうにです。

カウンセリングは、説教する人に支えられている

例えば、カウンセリングは説教とは異なりますが、実は説教を否定するものではありません。

受容や共感を学んだ人の中には、説教のようなことを、否定的なものと捉えがちになることがよくあります。

説教をする存在は、社会やその人を囲む生活の中に一定数必要なのではないかと感じるほどです。説教を受けたことで、何かを学んだり、自分の進む方向性を再確認した人もいることでしょう。もし説教を全てなくしてしまったら、道に迷う人は増えるのではないでしょうか。

つまり、カウンセラーは、説教をしてくれる存在がいることで、カウンセリングに徹することができるわけです。

カウンセラーの存在意義についても、同様なのではないかと感じます。説教をする人がいるように、その人の在り方に口を挟まず、とにかく添おうとする存在も、社会には一定数いて良いのではないでしょうか。ここにカウンセラーの一つの存在意義があるように感じています。

統一された援助職者の在り方

少し、話が大きくなってしまいますが、昨今はエビデンスベイスドとか、ナラティブベイスドという言葉が医療現場などでよく聞かれます。

エビデンスベイスドとは、「根拠に基づく」の意味であり、経験や勘ばかりを重視せずに、科学的根拠のある方法を実践するものです。これにより、多くの援助職者が、ある一定ラインの支援を提供できる可能性を高めたとも言えるのだと思います。

一つ思うことは、根拠に基づく、効果的な支援の方法がわかってくると、援助職者の在り方が似通ってくるのではないでしょうか。教員にしても、ナースにしても、カウンセラーにしても、医師にしてもです。しかし、度が過ぎれば、援助職者の在り方があたかも機械っぽくなる危険性さえあり得るでしょう。

機械化

エビデンスベイスドは否定されるべきものではありませんが、我々の行いは、やはり対人援助のことなのだという性質をよく考える必要があると思います。同じ支援方法であっても、支援を受ける側の人は、一人一人全く別な歴史や個性を持った方々です。

方法論に加え、我々援助職側も、自分自身の在り方を見つめる必要があると感じており、そして、その在り方には個々で幅があって良いのではないかとも思います。

援助職者自身も、それぞれの個性を持った存在であることを抜きにすることはできないのではないでしょうか。

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